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ドラクエとは関係ないけどちょっと心に残ったお話

猛暑の毎日ですがみなさまお元気で夏を楽しんでますか。

お盆だったり夏休みだったりで、あちこち出かけてなかなかインできない人も多いのではないでしょうか。

今回のブログはドラクエとは関係ない記事です。

感動話ではありませんが、なんとなくほっこり心に残ったので記したいと思います。

*********************************************



数年前、コンタクトレンズを作りたくて近所の眼科に行きました。
診察室に呼ばれ入ったら、80近いおばあちゃんが一人いました。


(・・・だれだろう。このおばあちゃん・・・。)


第一印象は、志村けんがよく演じる『ひとみばあさん』によく似ています。

老人ホームでよく見かける白い上履きを履き、背を丸め、ひとみばあさんと同じように「フンフンフン」と鼻息を漏らしながら小刻み歩行でよよよとこちらに寄ってきます。


「はいぃぃ。ここにすわってくださいぃぃぃ。フンフン(震える声)」



(!!)
(このおばあちゃん、医者だったのか。女医さんだったのか!)



そんな私の驚きをよそに、おばあちゃん先生は震える手で私の目を診察し始めました。



(あわわ、指が震えてるよ、目に入っちゃいそうで心配だよ!)
正直非常に不安でたまりません。


しかし診察が始まると、おばあちゃんの態度は一変!
しゃんと背が伸び、ちゃきちゃき機器を扱いながらてきぱき診察がはじまりました。


「フンフン(どうしても鼻息はもれるようです)、眼圧よし!網膜よし!角膜よし!ただ乱視が強いね!アンタはこのコンタクトがいいね!眼ってのはね・・あーだこーだ・・」


(おお!しっかり説明もしてくれている!
 先生、ひとみばあさんなんて思ってごめんなさい!!
 この年まで現役でお仕事続けてるだなんてすごい!)



以来、尊敬と応援の気持ちも含め、コンタクトをこのクリニックで購入していました。





ところが先日、クリニックより『閉院のお知らせ』のはがきが届きました。
慌ててクリニックに行ってみました。

どうやらあのおばあちゃん院長先生が亡くなられたとのこと。

83歳でした。


なんだかショックでした。

診察はコンタクト初処方の時だけだったので、あの日以来おばあちゃん先生とは会えていなかったからです。

なんだかもっとおばあちゃん先生のことが知りたくなりました。
受付のおばさまにお話を伺ったらこのように語り始めました。。




『院長先生は、ギリギリまでなんとか診療を続けていたんです。
数年前に胃がんの手術をされてからはめっきり体力が落ちたものの、その後も復帰していました。
ご自分でルートを決めて長年散歩や運動を欠かさず続け、食事にもたいそう気を使っておられました。

関西出身の院長先生は結婚を機に上京しましたが、明治生まれのお舅さんに強く反対され、せっかく医師になったものの仕事をさせてもらえませんでした。
くやしくて時間をみつけては勉強しつつ家事子育てをしていたんです。

やっとお舅さんの理解が得られ、医師として仕事ができるようになりました。
しかし戦後の混沌とした時代、物も何も無い時代でした。
最初は段ボールを診察台代わりにし、何もないところから診療を始めました。
少しずつ患者さんが増え、その後とうとう自分のクリニックを開院することになりました。

それがこのクリニックです。

当時、医療はドイツ語が主流でしたが、先見の明があった院長先生はこれからの時代は英語が重要と、早々に医学英語を独学で学ばれました。

また当時はめずらしい院外処方もいち早く導入しました。

診療は眼科全般でしたが、とりわけこどもの視力低下においては、並々ならぬ思いがあり、熱い志で診療に携わっておりました。



院長先生にはお嬢さんがおり、眼科医としてご活躍でした。
開院して3年ほど経過した頃、院長先生と同じ眼科医のお嬢様も一緒に、クリニックでお勤めすることになりました。
母娘で診療という、クリニックの新たなる一歩を踏み出すはずでした。


ところがその矢先、お嬢様は事故死されたのです。


院長先生はたいそう悲しんでおられました。
しかし頑張り屋の院長先生は持ち前のパワーを活かし、30年にわたりこのクリニックを切り盛りしてきたのです。
たった一人のお子様を亡くし、ご主人にも先立たれてもずっとずっと。。


最近では院長先生が診ていた患者様の何人かがドクターになり、報告に来てくれたりもしたんですよ。
院長先生の姿がすこしでも影響を与えていたとしたならば、こんなにうれしいことはないのです。』




なんというドラマティックなお話。
昭和初期から中期といったら戦前戦後の激動の時代。
その時代に当時は非常に珍しい女医となり、地域医療に貢献し、一代でクリニックを築き上げたおばあちゃん先生の生き方。
たった20分くらいのお話でしたが、とても胸をうたれました。


職員の方は『いかにもネットができません』風な方で、このようなお話はどこにも語り継がれないような気がしたので、ドラクエとは全く関係ありませんが、ここに記しました。


唯一ドラクエと関係づけるとしたら、『小さい頃に眼を悪くするとそれ以降の視力回復は難しくなるから、テレビを見るときは離れてゲームしましょうね』ってところでしょうか。



どんな人にも色んな人生があり、ストーリーがあります。
人生の先輩である両親や祖父母、また歳を重ねた身近な人々から色んな話をきくことで、自分の考え方や視野が広がったりもしますよね。
このおばあちゃん先生のお話をきいて、もっともっと祖父母の歩んできた道のりや人生論を聞いておけばよかったと思いました。
戦時中の話などももっともっと聞いておきたかった。
祖父母がすでに亡くなった今、私自身が耳にするチャンスはもう無いのですから。

おじいちゃん、おばあちゃんがご健在なら、いろんなお話を聞いてみてくださいね。




なんでこんな話になったんだ?

お盆だからかな。






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素晴らしいお婆ちゃん先生ですね。
確かに、その年代の女医さんは珍しいですよね。だからこそ、強い信念を持って生涯現役を貫いたのかも。
私が働いてるところも、女医さんなんですが、本当に素晴らしい医師で尊敬してます。
なんだか感動したので長文コメントなってしまいました。
ドラクエとは関係なくても素敵なブログありがとうございます(^-^)v

働きだしてから実家に帰ると親とよく話するようになったなぁ…

人生の先輩の話好きなのかも…ね(笑)

今回はいい記事読めて感動しました^_^

ドラゴンさま

その頃って生きるのに必死だし、男尊女卑の時代だし、嫌だとか疲れたとかできないとか言ってられなかったと思うんです。現代の私達には想像し得ない辛さがあったと思うんです。そこをいろんな逆境を越えて女性として妻として母として医師として生き抜いた人生にちょっと私も触発されました^^ただ事務の方々がおっしゃるには自他共に非常に厳しい方でよく怒られたんだそうです(笑)
 素敵なコメントをありがとうございました。とても嬉しいです^^

ゆっき

昔は親の言うことなんて心に響いてなかったけど、最近はやっぱり親の言うことは一理あるなあって思うようになった〜w 大人になって社会人になって知識も経験も増えてきた今、祖父母ともっと話したかったなーってよく思うんだよね、、叶わないんだけどさ。
いつもコメントありがとうね^^ また面白い顔見せて!!(毎度のことwww)

初コメ~(^o^)

どんな笑い話を聞けるのかと思ったら目頭あつくなっちった(*_*)
うちも母方の祖父母は亡くなってるから今度父方の方に聞いてみるよ!

感動をありがとう♪(また遊んでねw)

りょうたろさん

おお!コメントありがとうだよ〜!珍しくちょっとまじめに書いてしまった^^;
私はおとなになってから、あ〜おばあちゃんの言ってることが今やっとわかった〜とか、こういうときおじいちゃんならなんて言ってたかな〜って思うことが増えたんだ。是非いろんなお話をたくさんしてね^^
プロフィール

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Author:carolinecarol
キャロルです。
チーム『ふんっ』所属
オルフェアトゥーンタウン4064−1
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